人間国宝の茶器で、抹茶を味わう。そんな浮世離れした体験ができる場所は実在するのでしょうか──。
2025年10月、大田区の住宅街に美術館の常識を覆すスポットが誕生しました。山口文化財団株式会社が運営する「山口体験美術館」です。
区の遊休施設をスタッフの手でリノベーションした空間に並ぶのは、財団が所蔵するコレクション。ルノワール・ピカソ・ルオー・バンクシー・草間彌生・人間国宝の人形など、名作を鑑賞することができます。
その名のとおり「芸術を体験すること」をコンセプトとし、ここでしか味わえない希少な体験ができます。
(※展示は入れ替え制のため、どんな作品に出会えるかは当日のお楽しみです)
※2026年1月時点の情報です。
山口体験美術館は大田区の中心部…ではなく、住宅街の一角にあります。ものづくりのまち・大田区の日常風景に、突如アート空間が出現したような不思議な空間です。
入り口では、いきなり岡本太郎の作品「さかな」が出迎えてくれました。
館内に入るとまず、金色の茶室が見えてきます。こちらには千利休の像とともに、人間国宝の茶器が展示されています。
同じ空間にミュージアムショップ、カフェがあり、住宅街の一角というロケーションからは想像もつかない、洗練されたアート空間が広がります。
天井を見上げると……クレーン。
至るところに建物が工場だった頃の名残があり、どこか人の営みやぬくもりを感じます。「大田区っぽいなー」と思いながら進みます。
展示作品は、姉妹館「熱海山口美術館」と定期的に入れ替えを行っています。
そのため、ピエール=オーギュスト・ルノワール、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ルオー、バンクシー、草間彌生など、どの作家の作品に出会えるかは訪れてからのお楽しみです。
この日、1階に入ってすぐの場所にはパブロ・ピカソのお皿が展示されていました。
思わず、
「え、ピカソってこんなにカジュアルに鑑賞できるものなの?」
(大きな美術館で、人混みを掻き分けて、ようやく見ることができる芸術じゃなかったっけ?)
なんて思わずにいられませんでした。
展示されているお皿の作品は、ピカソの代表作「ゲルニカ」とは趣向が異なり、可愛らしい動物の絵などが描かれていました。
学芸員の阿南(あなみ)裕太さんによると、「ピカソは戦時中にゲルニカなどの作品を書いたのち、終戦後、南仏のヴァロリスという陶器の町を訪れたことで陶芸の楽しさに目覚めました。作品には戦後の解放感が表れています」。
ピカソの展示の前には、同時期に活躍していた岡本太郎の「坐(すわ)ることを拒否する椅子」がありました。
「快適さを求めてダラダラする現代人に対し、常に挑み続ける姿勢を求めるアート作品」です。
この椅子に座って、ピカソを鑑賞しようとしたところ・・・お尻が痛い!! 早速拒否されました。笑
館内は屋上を含め、4フロアあります。現代美術からガラスや漆の工芸品、人間国宝まで、どのフロアも見どころの連続です。
「館主のコレクションの中でも、人間国宝による日本人形のコレクションは日本のトップクラスです。リアルな動きや、作家ごとの違いをぜひ見比べてみてください」(阿南さん)
フロア間の移動は外階段を使います。乳幼児連れや足腰に不安のある方はお心づもりを。
阿南さんによると、「当館は既存の建物を活用したためエレベーターを設置することはできませんでした。高齢の方へのせめてもの配慮として、階段には手すりを、展示室には椅子を多めに配置しています」とのこと。
ゆっくりと椅子に座りながら芸術を鑑賞できるのは嬉しいポイントです。
屋上に登ると、銅像が並んでいました。それに紛れて、まさかブランコとお砂場があるとは思いませんでした・・・。お砂場も「体験」の一つなのだそうです。

「人間国宝の器でお抹茶体験ができるよ」
という前評判を知り合いから聞いていたんです。
でも、まさか展示品から好みの器を選んでお抹茶をいただけるなんて、想像していませんでした・・・。
この日は十四代 今泉今右衛門、濱田庄司、三輪休和など、7人の作家による茶器が展示されていました。
人間国宝の器に触れる機会など、人生でそうあるものではありません。しかも作家は故人で、同じ茶器が作られることは二度とありません。この体験は、この上なく得難いものなのです。
迷った末、伊勢崎淳氏の「備前茶碗」を選びました。
うっかり落としてしまわないか、緊張でドキドキです。
ずっしりとした重さ。ざらざらとした質感。
人間国宝と対峙し、背筋を伸ばして抹茶をいただきました。
飲み終えて茶器をテーブルに置いたときは心底ほっとしましたし、あまりに貴重な体験で、生涯忘れられないと思います。
この茶器の価値と重みを知る学芸員の阿南さんは、初めてこの体験をしたときは「手が震えました」とのこと。
大人がこんな状態ですから、子どもの体験はなおさら緊張が走りました。
小学生の娘は「苦いーーー」と叫んでましたが、お抹茶に添えられた和三盆の干菓子(ひがし)に喜んでいました。
絵付け体験は、サインペンで書いて、焼きつけていただけます。
(お抹茶体験はお皿を焼いている間に、お抹茶をいただく流れです)
山口体験美術館の特長にして最大の魅力は、なんといっても「体験」にあります。入館料には抹茶体験とお皿への絵付け体験料が含まれており(大田区民向けに体験がない料金設定もあります)、なぜ、この美術館はここまで「体験」にこだわるのでしょうか。
阿南さんによると、館主の山口伸廣さんは、「芸術を知識で理解して頭で捉えるのではなく、感覚で味わっていただきたいのです」と考えているそう。
「もっとも、人間の記憶に残るのはアウトプットと言われており、私たちはアウトプットしての体験を大事にしています。当館は撮影OKですので、ぜひお気に入りの作品を見つけて、お皿に模写していただければと思います」(阿南さん)
山口体験美術館は、館主であり、山口文化財団の理事長・山口伸廣さんと大田区のご縁で誕生しました。
山口さんは20代で建築会社を創業し、建築・不動産事業で財をなした人物。幼少期からアートへの造詣も深く、多くの美術品をコレクションし、自身も作陶を嗜むことから独自の発想でアート関連事業を次々に具現化しています。
2023年に、自身のコレクションのうち669点の美術品を縁がある大田区に寄贈。大田区と山口さんは「作品を少しでも多くの方に鑑賞してほしい」という想いで一致し、大田区の遊休施設を美術館にリノベーションして作品を展示することになったのです。
専門の業者に依頼することなく、山口さんのリードのもと数名のスタッフが工具を握り締め、手と体を動かして美術館を作り続けました。
念願の美術館の開館にあたり、山口さんのアイディアと情熱は大爆発。花壇を作ると決めたのは開館の1週間前、屋上に砂場スペースを設けることになったのも開館の半月前だったそう。
山口さんの頭のなかをギュギュっと凝縮して再現したかのような、日常とアートの距離をぐっと縮める美術館ができたそうです。
「館主はオープン後もあちこち手を入れており、どんどんアップデートする山口体験美術館をお楽しみください!」(阿南さん)
館内の見学と抹茶と絵付け体験を終えたところで、率直に感じた疑問を、阿南さんにお聞きしました。
「入館料、安すぎやしませんか?」
これだけ豪華な作品を鑑賞できて、人間国宝の茶器で抹茶体験までついて大田区民は1,000円、大田区外の方は1,400円。
阿南さんは「正直、学芸員である私の理解の範疇を大きく超える価格設定です。3,000円でも安いくらいでしょう」
「この価格設定は、ひとえに館主である山口の『多くの方に美術に触れていただきたい』という気持ちの現れです。ぜひ多くの方に訪れていただければと思います。好きな作品や作家さんが見つかると良いなと思います」
さて、体験を満喫したあとは「山口体験美術館ミュージアムカフェ」でランチをいただきました。手作りのお料理やスイーツを楽しめます。美術館の周辺は飲食店が少ないエリアなので、館内にカフェがあって嬉しいです。
店主おすすめの「週替わりランチ」をいただきました。この日は香味野菜と赤ワインでじっくり煮込んだビーフシチュー。濃厚で、牛肉はほろほろ。丁寧に作られた手料理に、心まで温まりました。
コンセプトは「野菜が摂れるランチ」。農家から直接届く新鮮な野菜をふんだんに使用したサラダは、色鮮やかでボリュームたっぷり。野菜本来の美味しさを最大限に引き出すために、ドレッシングまで手作りなのだそうです。
食後にはバスクチーズケーキと、柚子チャイをいただきました。
人気の濃厚なチーズケーキにはフルーツが添えられており、満足度たっぷり。
「今日はリンゴをお砂糖とりんごジュースで煮てコンポートにしてみました」とのこと。なんだか得した気分です。
ゆずチャイは濃いめに煮出した紅茶にはちみつ、牛乳とオリジナルのスパイスで仕上げたもの。
丁寧に手作りされた食事や飲み物に、なんだか幸せな気持ちになりました。
「山口体験美術館ミュージアムカフェ」を運営するのは「CK.Bake」。シェアキッチンで焼き菓子の製造・販売からスタートし、念願のカフェオーナーになった森田ゆうこさんのこだわりが詰まっています。
その原点は、ご家族に作り続けたお料理でした。
「私は元々、料理好きの主婦なんです」。常に人がたくさん集まる家庭に生まれ、お母様と一緒にたくさんの料理を作りながら育ったと言います。
「実はうちの娘が化学物質過敏症とでもいいますか、化学調味料が苦くて食べられない子だったんです。アルミフリーのベーキングパウダーでも「苦い」というくらい。化学調味料を極力使わずに料理を作り続けてきました」。
「美味しいごはんやお菓子を食べながらほっと一息つける、このカフェがそんな存在になれたら嬉しいです」
お洒落なミュージアムグッズも充実しています。
マグカップもポーチ、トートバック、どれも素敵で目移りしてしまいます。
初めて訪れた山口体験美術館は、一歩足を踏み入れてから出るまで、驚きの連続でした。そして芸術との距離がとにかく近いのです。物理的にも精神的にも。
館主の山口さんや学芸員の阿南さん、カフェの森田さん、それぞれの想いが、この美術館には詰まっています。
ぜひ貴重な体験ができる美術館にお立ち寄りください!
https://otaart.com/
https://www.instagram.com/taikenmuseum/
●住所:東京都大田区中央8-28-12
●TEL:03-6410-2415
●開館時間:9:30~17:00(最終入館16:30)
●休館日:火曜(祝日の場合は開館、翌日に休館)
●アクセス:
〈徒歩〉
JR「蒲田」駅から徒歩18分
京急「大森町」駅から徒歩18分
※シェアサイクルのご利用がおすすめです
〈バス〉
東急バス「池上営業所」停留所から徒歩9分
●入館料:
〈大田区民〉
一般:1,000円(体験なし:800円)
小・中・高校生:500円
未就学児:400円(体験なし:無料)
障がい者(介助者含):500円
※毎月第三水曜日は無料(体験は別途500円必要です)
〈区外〉
一般:1,400円
小・中・高校生:500円
未就学児:400円(体験なし:無料)
障がい者(介助者含):500円
https://www.instagram.com/ck.bake?igsh=M3F4MTB1andtdzYz
(運営:CK .Bake)
※カフェのみのご利用も可能です
本記事のライター:Hana
プロフィール:大田区歴13年、小学生の姉妹を子育て中。大田区の魅力は知るほどに深く、気づけばすっかりトリコ。
監修:NPO法人大森まちづくりカフェ

「大森まちづくりカフェ」は情報紙の発行や地域密着型のイベント企画など、まちの魅力を発見し伝える事業を通じて、大森がもっといきいきするような交流の場(=カフェ)の構築を目指すNPO法人です。